こんにちは、多摩あん子です。
前回、両親ともに別々の入院という事態になったのを、ソーシャルワーカーさんのサポートで、ふたりをひとつの病院に一緒にすることができたというエピソードを書きました。
ほっとしたのも束の間、また事態は大きく動きます。
というのも、入院中に行われていた父親の検査結果が出たのです。
今回は父親の検査結果が出てから、長女のわたし(遠距離で別居)がどう動き始めたか、お話ししたいと思います。
父にPSP(指定難病5)の診断!|ショックより、少し安堵を感じた理由とは?
父は入院中に脳神経内科の検査を受けることになりました。
パーキンソン病の疑いがあるので、脳の状態なども含め検査をしてくださったようです。
先に結果からお伝えすると、指定難病1の「進行性核上性麻痺(PSP)」という診断でした。
たしかに父の身体機能について、確実に弱ってきているなあ…と心配はしていました。
ただ、それが3年前の交通事故の後遺症によるものなのか、高齢に伴うものなのか、はっきりとわからず、漠然とした不安がつのるばかり…
入院前まで通っていたデイケアのスタッフさんから「パーキンソン病の症状に似ている」と言われ、「もしかしたらそうかも…」と覚悟をしていたのも事実です。
だから、パーキンソン病と似た症状ながらももっと進行が早く、パーキンソン病に有効な薬が効きにくい「進行性核上性麻痺(PSP)」と診断されたとき、それほどショックはありませんでした。
それよりも、
「ああ、その病気のせいでお父さんは体が動かなくなっているんだなぁ」
と納得ができ、原因がわかったことに安堵しました。
また病名がついたことで、これから家族としてやるべきことが見えてくるはずだと思いました。
まったくの暗闇の中に少しの明かりを見つけた気がしたのです。
遠距離別居だからこそ診断後すぐに動く!わたしにできることは何?
診断の当日大阪から脳神経内科の医師の話を聞きに来ていたわたし。
また翌日の午後には大阪へ戻らなければいけません。
だから滞在中にできることはしておきたい!!
すぐ動けるように、前もってパーキンソン病やPSPなどの指定難病だった場合を考え、調べていたことがありました。
それは「特定医療費(指定難病)受給者証」と「障がい者手帳」のこと。
これらを取得することで、今後増えるであろう医療費の助成を受けることができ、また公のサポートも期待できそうです。
だから診断名がパーキンソン病やPSPであれば、すぐに申請のために動こうと考えていました。
「特定医療費(指定難病)受給者証」と「障がい者手帳」を取得したい
診断してくださった先生に、その場で
「特定医療費受給者証と障がい者手帳を申請したいのですが、申請に必要な診断書は書いてもらえますか?」
と聞いたところ、間髪入れずに「書きますよ」というお返事をいただきました。
よし!少し前進!
その後病院の事務担当の方に流れを確認。
翌日午前中に市役所で所定の書式の診断書を入手し、その足で再び病院に向かい、窓口に書類を預けることができました。
(市役所では、特定医療費(指定難病)受給者証と障がい者手帳の窓口をはしごして、あっという間に2時間ほど経ってしまいましたが、みなさん親切に説明してくださり、助かりました。)
次は診断書ができあがるのを待ち(通常2〜3週間かかるとのこと)、そのほかもろもろの必要書類をそろえて市役所に持参し、申請する予定です。
まずははじめの一歩。これからも、情報を集め、よく考え、動いていこう
父が診断を受けたPSP(進行性核上性麻痺)。
正直、まだわからないことだらけです。
これから想像しているよりもずっと困難が待ち受けているかもしれません。
母も腰椎圧迫骨折で入院中で、弟は弟なりに精いっぱいサポートしてくれていますが、心療内科に通っており、あまりストレスをかけたくありません。
そしてわたしは大阪での生活も大事にしたい。
ただ、今はまだ悩む時期じゃない、動く時期だと思っています。
しかも動くためには、情報を集めることが大事。
そして情報を元に何がベスト、またはベターかをよく考えるのも大事。
きっと期待通りにいかないことも山ほど出てくるのでしょうが、そのたびに「何か方法はあるはず」と頭を切り替えながら、これからも進んでいきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
氷河期世代、万年非正規雇用の多摩あん子でした。
- 指定難病とは、難病のうち、以下の条件を満たし、厚生労働大臣により良質で適切な医療を受けることが必要だと判断されたものです。
〇患者数が本邦において一定の人数(日本の人口のおよそ0.1%)に達しないこと
〇客観的な診断基準(またはそれに準ずるもの)が確立していること
参照:指定難病の要件について(厚生労働省資料) ↩︎


