こんにちは!氷河期世代、万年非正規雇用の多摩あん子です。
先日、長い入院生活のなかでさまざまな検査を受けた結果、父が指定難病のPSP(進行性核上性麻痺)と診断されました。
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病名がわかったことで、わたしとしては、ショックよりも次の対策に進めるというほっとした気持ちのほうが勝ちました。
とはいえ、これからどうしたらよいのか、考えるべきことはたくさんあります。
今回の記事では、PSP診断後の父の様子や、退院後の生活について迷う自分の気持ちを書きました。
PSP(進行性核上性麻痺)ってどんな病気?
まず、PSPとはどのような病気なのか簡単に説明させてください。
パーキンソン病という病気については、聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
PSPは、パーキンソン病と似た症状ながら、進行が早く、パーキンソン病に有効な薬もあまり効果がないという神経難病です。
進行性核上性麻痺という名称のように、体の機能や嚥下能力が徐々に麻痺していくという病気で、しゃべることも困難になっていきます。
まだ効果的な治療法はないため、リハビリなどで進行を遅らせることしかできないのが実情です。
リハビリをがんばる父
病名について、父には「PSPというパーキンソン病の一種」と伝え、「薬はあまり効かないから、リハビリをがんばろうね」と話しました。
すでにはっきりしゃべることが難しくなっているので(それでも時々がんばって単語ではしゃべってくれますが)、そのときはかすかに頷くぐらいの反応だったかと思います。
当時(今はまた状況が変わっていますが、振り返って書いています)、病院のリハビリスタッフさんが来てくださり、週に5回ぐらいはリハビリを行っていました。
リハビリは家族なら見学自由なので、わたしも面会に行ったときはリハビリ室に同行して、父が一生懸命リハビリをしている姿を見ていました。
車椅子からゆっくり立ち上がって、サポートを受けながら平行棒をつかみつつゆっくりと歩いたり、その場で足ふみをしたり…
もともと運動が大嫌いな父ですが、やせ細った姿で一生懸命リハビリしている姿に「きっとなんとか動けるようになろうとがんばっているんだな」と胸に迫るものがありました。
おむつが欠かせなくなった父
この頃、だんだんと尿意が感じられなくなり、ずっとおむつをつけている状態になりました。
尿意が感じられなくなるのも、PSPの症状のひとつのようです。
母には「家に帰るために、トイレは自分で行けるようになってほしい」という希望がありました。
でも、自力でトイレに行くというのは今後難しいのではないか…と少しずつ家族も感じ始めます。
父はわたしが会いに行くたびに「いつ退院できるか」と聞くので、「もう少しよくなってからね」と答えていました。
実際、退院したら父を家に連れて帰るつもりだったのですが、それにはトイレ問題も含めて超えなければならない問題が山ほどあり、頭を悩ませていたのです。
家に帰らせてあげたい、でも実際に日々介護するのは母と弟
父を家に帰らせてあげたい。
家には父が可愛がっている猫もいて、会わせてあげたい。
でもわたしは大阪に住んでいて、ヘルパーさんに入ってもらっても、毎日父を介護するのは母と弟です。
わたしは今と同じように、週に1度帰省するぐらいになるでしょう。
母も高齢で、1年半ほど前にガンを患い、その回復途上で腰椎圧迫骨折をして、先日やっと退院したばかりです。
おまけに母の生来の性格というものが、元気なときでも人のお世話が苦手で、すぐにキャパオーバーになってしまう。
父の病名がわかる前、まだ自宅にいる父が弱ってきている状態のときに、すでに父にかなりキツい言葉を放っていました。
だから、父の自宅介護がはじまったら、またすぐに限界がきて、父が傷つくことを言ってしまう可能性は、ほぼ100%です。
いまは父の体のケアをプロの看護士さんたちに任せているおかげで、心身に余裕ができ、母の中の優しさを父に届けることができているのです。
また弟については、以前にも書きましたが、無職です。
だから時間だけはたくさんあるけれども、一人前の大人としてどうしてもカウントできない。
引きこもりで時々暴れていたころに比べたら落ち着いているけれども、果たして介護ができるのか…
退院日が迫る中、心は乱れるばかり
結局父がせっかく家に帰っても、みんなに余裕がなくなって笑顔が消えていくのを感じて、父が辛い思いをするのではないのだろうか…
わたしも週に1回は帰るとしても、家がいろんな意味で荒れていないか、毎日心配で心配でしょうがないんじゃないのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えているうちに、退院日も近づいてきて…
家族会議が開かれることになるのです。
その話はまた次回。
本日もここまでお読みいただきありがとうございました。


